• 当社の事業は、新田長次郎が創設した「合資会社 新田帯革製造所 製膠部」にその端を発している。

    長次郎は、1857(安政4)年5月、農業を営む新田喜惣次の次男として、松山市山西町(旧 伊予国温泉郡味生村字山西)に生まれた。11歳で明治維新(明治改元)を体験し、16歳の時に福沢諭吉の『学問のすすめ』に啓発され、広く眼を海外に開き日本の独立発展を担う事業を築き上げるという大望を抱き、20歳の誕生日に単身大阪に出立った。大阪では、西欧式製革法の技術を修得し、1885年に28歳で新田組の屋号をかかげ、独立。1888年にはわが国最初の動力伝動用革ベルトの製造に成功した。

    長次郎は経営姿勢の信条の一つである「改良・発明」の精神を発揮し、革ベルトの製造方法や品質の改良に励んだ。その結果伝動革ベルト事業は大きく成長した。また長次郎はいち早く海外にも目を向け、数カ月かけて海外の革製品メーカーや製革機械製造業者を訪問視察し、貴重な情報を自らの足で稼いだ。改良・発明を行い、海外に学んだ長次郎は、名実ともに東洋一のベルト業者としての地歩を築いた。

    事業の永遠の繁栄を図り、確固たる基盤を固めようとする長次郎の考えにより、1909年に合資会社経営へ移行、合資会社 新田帯革製造所が発足。長次郎は事業経営にあたって、多角経営という基本方針を持っていた。本業を支える何本かの副業を持ち、本業と副業の相互作用によって、各事業の業績の浮き沈みをバランスさせるという考え方である。長次郎は、副業として「第1 タンニン製造、第2 カシワの樹植林、第3 牧場、第4 開墾、第5 ベニヤ製造、第6 バラタベルト製造、第7 にかわ製造」の7つを挙げた。

    にかわが新田帯革製造所の副業になったのは、ベルト製造原料である牛皮という資源を有効活用するためであった。ベルト製造では牛皮の表皮だけが使用され、それ以外の部分は不要であった。未利用の資源活用と需要の高まりから、にかわ製造に乗り出すこととなった。おりしも、1914(大正3)年に起こった第1次世界大戦の影響で、あらゆる製品の輸入が困難な時代であった。そうした中、にかわの国産化は大いに歓迎された。また、当時の日本のにかわの製造方式は、ほとんどが昔のままの鍋煮法で、冬期しか製造できず品質にもばらつきがあったため、これを改良したいと長次郎は考えた。このように、当社のゼラチン・にかわ事業は、この副業の1つとしてスタートしたのである。

  • 当社の社是は1966年、二代目社長である新田精一が制定した。この社是は、新田精一の基本的精神及び哲学が込められた普遍的な価値観であり、経営者と従業員の根本となる信条として、現在も受け継がれている。

    社長就任から5年後の1965年、高度成長期に起きた不況により、当社も大きな打撃を受け、同年の春季労働交渉は長期間を要した。新田精一はこの状況を深刻に捉え、会社の発展と従業員の生活向上のために、会社全体の意思を統一し、従業員が一致協力して邁進できるような理念が必要であると考え、社是にその想いを表した。

    新田精一は、自身で以下のように語っている。

    「愛と信を基盤とし」は、精神的基盤を示します。「愛」は、家族愛、同胞愛、人間愛、愛社心を意味し、それによってお互いの理解と信頼を深め、また自分たちの仕事を愛し、自分たちが作る物、使う物も愛することです。「信(まこと)」とは、信義、誠実を意味し、信念や信頼につながるものです。「最高の技術と最大の活力」は、経営手段の重点を打ち出しているものです。最高度の技術を身につけて、これを発揮して活力をはぐくんで発揮することです。「最高の技術」によって品質の向上と技術の開発をはかり、「最大の活力」で営業の拡大と、業務の推進をはかることを意味しています。「社業を発展させ」は、会社の経済的な共通目的を意味するものです。会社が発展することは、従業員の生活水準の向上や、株主や顧客の満足を引き上げることになり、経済的に満足を達成することになります。「社会に貢献し」は、精神的な共通目的を果たす意味です。社会全般に有益な貢献をすることで得られる、仕事をする者の精神的満足を意味しています。「希望ある人生をきずこう」は、会社という媒体を通じて得られる、物と心の両面にわたる満足によって、個々の人の目的である、希望ある人生を築いていこうということです。

創業者の新田長次郎が「合資会社 新田帯革製造所」で膠事業を開始、四男の新田昌次が主力市場であるマッチ用の「国光印 洋膠」を発売。
当時、ゼラチンはほとんど輸入品に頼っていたが、輸入品価格が暴騰し、品薄を打破するため、国産初の食用薄ゼラチンを開発。
食用薄ゼラチンの高評価を受け、増産のため、当時として東洋一の規模となる工場を建設。
第一次世界大戦後の軍事資材の国産化促進で、国産写真用ゼラチンの需要が増加。研究の結果、国産初の写真用ゼラチンの開発に成功。
この頃は、医薬用カプセルは全量輸入に頼っており、製薬会社から国産カプセルの開発を強い要請により研究に着手、製造開始。
ゼラチン品質の安定化のため、牛骨原料を使用する「オセイン」製造設備を本格稼働させ、牛皮ゼラチンに加えて牛骨ゼラチンの製造を開始。
新田帯革製造所の事業分割により、株式会社新田帯革製造所(現 ニッタ株式会社)、新田護謨工業株式会社(現 新田ゴム工業株式会社)と共に分離独立。
初代社長 新田昌次の次男である新田精一が社長に就任。社名を新田ゼラチン株式会社に改称。
経営者と従業員がひとつになれる理念を必要と感じ、創業者 長次郎の精神をもとに制定。
感圧複写紙に使用する豚皮ゼラチンの専用工場を、協力会社と合弁で設立。
接着剤の多様化に伴い、石油系接着剤を研究、事業多角化を目的に接着剤事業部を発足。
食生活の多様化による増粘剤、安定剤等の需要増加の対応のため、食材事業部を発足。
ゼラチンの需要増加による原料供給の安定確保のため、世界一の原料供給国であるインドに進出。ケララ州産業開発公社、商社の3社による合弁会社を設立。
企業イメージの向上を図るため制定。
北米での市場拡大のための拠点として設立。
ゼリーブームに乗り、ゲル化剤やヨーグルト安定剤の販売が上向きになる中、ホテルや飲食店などのプロユーザーや消費者向けの商品として発売したゼリー剤。
米国の衛生材料用接着剤メーカーとの合弁で、接着剤販売会社を設立。
細胞をより生体内に近い三次元的な状態で培養を可能にする、研究用の細胞培養コラーゲン「Cellmatrix」を発売。
世界で初めて、膨潤を必要としない温水即溶性の顆粒ゼラチンを開発、「ゼラチン21」として発売。
豚皮ゼラチンの市場拡大に対応するため、現地法人のゼラチン工場を買収、新会社設立。
コラーゲンペプチドの機能性研究を本格的に開始。
ソーセージ用のコラーゲンケーシング会社設立。[2019年12月 事業譲渡により撤退]
ゼラチン原料不足を補うため、現地法人の牛骨原料処理工場を買収し、新会社設立。
世界的なゼラチンの需要拡大に対応するため、インドでゼラチン工場を建設。
魚コラーゲンペプチドの製造販売を開始。
一般消費者向けの健康補助食品および化粧品の販売会社として設立。
米国の子会社が3社となったことを機に、効率的な経営管理を行うために設立。
世界的な豚皮ゼラチン需要のさらなる需要増に対応するため、原料が豊富なノースカロライナ州に新たに豚皮ゼラチン生産会社を設立。
ゼラチン原料の安定供給に対応するため、新たに牛骨原料処理工場を建設。
再生医療分野用途のコラーゲン・ゼラチン専用製造施設を建設。
再生医療に特化したbeMatrixシリーズを販売開始。
中国及びアジア諸国での販売拡大のための生産拠点を確立するため、当社と現地法人3社の合弁で、コラーゲンペプチドの製造会社を設立。
中国における当社グループ製品の販売のために、営業拠点を設立。
企業価値向上、優秀な人材確保などを目的に東京証券取引所市場第二部に上場。
アジア地域の経済成長と、食生活の欧米化によるデザートなどの需要拡大に対応するため、現地法人との合弁で、ゲル化剤製造販売会社を設立。
北米でのコラーゲンペプチド事業拡大のため、Nitta Gelatin USA, Inc.にペプチド工場を増設。
北米の食品市場での販売拡大のため、現地法人を買収、新会社設立。
魚ゼラチンの製造・販売のため、広東百維生物科技有限公司の100%出資会社として設立。
次世代のゼラチン・コラーゲンを開発・製造するための新拠点「みらい館」が完成。

1918年1月

創業

創業者の新田長次郎が「合資会社 新田帯革製造所」で膠事業を開始、四男の新田昌次が主力市場であるマッチ用の「国光印 洋膠」を発売。

1931年1月

食用薄ゼラチン販売開始

当時、ゼラチンはほとんど輸入品に頼っていたが、輸入品価格が暴騰し、品薄を打破するため、国産初の食用薄ゼラチンを開発。

1935年1月

ゼラチン専用工場
(現大阪工場)操業

食用薄ゼラチンの高評価を受け、増産のため、当時として東洋一の規模となる工場を建設。

写真用ゼラチン製品化

第一次世界大戦後の軍事資材の国産化促進で、国産写真用ゼラチンの需要が増加。研究の結果、国産初の写真用ゼラチンの開発に成功。

1936年4月

医薬用カプセル製造開始

この頃は、医薬用カプセルは全量輸入に頼っており、製薬会社から国産カプセルの開発を強い要請により研究に着手、製造開始。

1941年2月

牛骨ゼラチン製造開始

ゼラチン品質の安定化のため、牛骨原料を使用する「オセイン」製造設備を本格稼働させ、牛皮ゼラチンに加えて牛骨ゼラチンの製造を開始。

1945年2月

新田膠質工業株式会社
(現 新田ゼラチン株式会社)設立

新田帯革製造所の事業分割により、株式会社新田帯革製造所(現 ニッタ株式会社)、新田護謨工業株式会社(現 新田ゴム工業株式会社)と共に分離独立。

1960年4月

新田ゼラチン株式会社へ改称

初代社長 新田昌次の次男である新田精一が社長に就任。社名を新田ゼラチン株式会社に改称。

1966年1月

社是制定

経営者と従業員がひとつになれる理念を必要と感じ、創業者 長次郎の精神をもとに制定。

1968年2月

彦根ゼラチン有限会社
(現 彦根ゼラチン株式会社)
設立

感圧複写紙に使用する豚皮ゼラチンの専用工場を、協力会社と合弁で設立。

1970年3月

接着剤事業部発足

接着剤の多様化に伴い、石油系接着剤を研究、事業多角化を目的に接着剤事業部を発足。

1974年8月

食材事業部発足

食生活の多様化による増粘剤、安定剤等の需要増加の対応のため、食材事業部を発足。

1975年4月

Kerala Chemicals
and Proteins Ltd.
(現 Nitta Gelatin India Ltd.)
設立

ゼラチンの需要増加による原料供給の安定確保のため、世界一の原料供給国であるインドに進出。ケララ州産業開発公社、商社の3社による合弁会社を設立。

1977年6月

シンボルマーク制定

企業イメージの向上を図るため制定。

1979年7月

Nitta Corporation of America
(現 Nitta Gelatin NA Inc.)
設立

北米での市場拡大のための拠点として設立。

1980年5月

クールアガー発売

ゼリーブームに乗り、ゲル化剤やヨーグルト安定剤の販売が上向きになる中、ホテルや飲食店などのプロユーザーや消費者向けの商品として発売したゼリー剤。

1982年4月

ニッタフインドレイ株式会社
(現 ボスティック・ニッタ株式会社)
設立

米国の衛生材料用接着剤メーカーとの合弁で、接着剤販売会社を設立。

1983年10月

セルマトリックス発売

細胞をより生体内に近い三次元的な状態で培養を可能にする、研究用の細胞培養コラーゲン「CellmatrixR」を発売。

1987年2月

ゼラチン21発売

世界で初めて、膨潤を必要としない温水即溶性の顆粒ゼラチンを開発、「ゼラチン21」として発売。

1990年5月

Cangel Inc.(現 Nitta Gelatin Canada Inc.)設立

豚皮ゼラチンの市場拡大に対応するため、現地法人のゼラチン工場を買収、新会社設立。

1992年9月

発酵コラーゲンペプチド
LCP発売

コラーゲンペプチドの機能性研究を本格的に開始。

1996年8月

Nitta Casins Inc.、
Nitta Casings Canada Inc.
設立

ソーセージ用のコラーゲンケーシング会社設立。[2019年12月 事業譲渡により撤退]

1998年5月

Bamni Proteins Ltd.
を設立

ゼラチン原料不足を補うため、現地法人の牛骨原料処理工場を買収し、新会社設立。

1999年1月

Nitta Gelatin India Ltd.
ゼラチン製造工場竣工

世界的なゼラチンの需要拡大に対応するため、インドでゼラチン工場を建設。

2003年6月

魚コラーゲンペプチド
(イクオス)を製造開始

魚コラーゲンペプチドの製造販売を開始。

2004年9月

株式会社ニッタバイオラボ設立

一般消費者向けの健康補助食品および化粧品の販売会社として設立。

12月

Nitta Gelatin
Holdings Inc.設立

米国の子会社が3社となったことを機に、効率的な経営管理を行うために設立。

Nitta Gelatin USA, Inc.設立

世界的な豚皮ゼラチン需要のさらなる需要増に対応するため、原料が豊富なノースカロライナ州に新たに豚皮ゼラチン生産会社を設立。

2009年7月

Reva工場竣工

ゼラチン原料の安定供給に対応するため、新たに牛骨原料処理工場を建設。

2010年9月

beWorks完成

再生医療分野用途のコラーゲン・ゼラチン専用製造施設を建設。

beMatrix発売開始

再生医療に特化したbeMatrixシリーズを販売開始。

2010月12月

広東百維生物科技
有限公司設立

中国及びアジア諸国での販売拡大のための生産拠点を確立するため、当社と現地法人3社の合弁で、コラーゲンペプチドの製造会社を設立。

2011年9月

上海新田明膠有限公司設立

中国における当社グループ製品の販売のために、営業拠点を設立。

2011月12月

東京証券取引所
市場第二部上場

企業価値向上、優秀な人材確保などを目的に東京証券取引所市場第二部に上場。

2012年12月

東京証券取引所
市場第一部上場
[2023年10月 現スタンダード市場へ移行]

2013月1月

Nitta Gelatin
Vietnam Co., Ltd.設立

アジア地域の経済成長と、食生活の欧米化によるデザートなどの需要拡大に対応するため、現地法人との合弁で、ゲル化剤製造販売会社を設立。

2014年9月

Nitta Gelatin USA, Inc.ペプチド工場増設

北米でのコラーゲンペプチド事業拡大のため、Nitta Gelatin USA, Inc.にペプチド工場を増設。

2016月8月

Vyse Gelatin, LLC設立

北米の食品市場での販売拡大のため、現地法人を買収、新会社設立。

2019年8月

広東明洋明膠有限責任公司設立

魚ゼラチンの製造・販売のため、広東百維生物科技有限公司の100%出資会社として設立。

12月

コラーゲンケーシング事業より撤退

2021年2月

接着剤事業をポスティック・ニッタ株式会社へ承継

4月

株式会社ニッタバイオラボを吸収合併

2022年12月

みらい館完成

次世代のゼラチン・コラーゲンを開発・製造するための新拠点「みらい館」が完成。